解剖学の少年

絵、モデリング、その他

新ナショナルキッド・外伝

中学時代の友達と久しぶりに話した、向こうは友達として見てくれていたが、私からしたら知り合い程度の関係のつもりだった。

彼は私と同じ吹奏楽部の同級生で、中学の頃は顔を合わせたら話すくらいの関係だった。しかし私は正直なところ、彼の事を苦手に思っていた。当時彼は不良学生と仲良かったし、なにより私は途中で練習についていけず吹奏楽部を辞めてしまっており、部の人間達に対しても負い目を感じていたからだ。その経験は今に続く私の音楽そのものへの劣等感に繋がるのだが、書くと長くなるのでここでは割愛する。


私の幼なじみのバンドマンから電話がかかってきて、どうやら幼なじみと彼とでボカロ曲を作りたいらしく絵がかける私に連絡したらしい。電話越しで彼の声を聞いた時、正直私はビビっていた。中学時代の暗い記憶を思い出すことになるからだ。
そんな私をよそに、彼は気さくに今までのことだとか中学時代の懐かしい思い出とかを話してくれた。彼は高校卒業後に音楽大学に進学し、作曲について学んでいたらしい。専門教育を受けたプロの音楽家になってたのはさすがだと思うが、今は全く別の仕事をしているというのだから勿体無いと思った。
彼はいい奴だった。気さくなのは昔と変わらなかったし、変に気を使うようなこともなかった。途中で当時の恋愛の話とか、今だから言えるようなやばい話もした。吹奏楽部の顧問が今思うと本当にイかれた奴だったという話もした。私の絵を見せるとすごいすごいと素直に褒めてくれて嬉しかった。

中学時代、落ちこぼれだった私はひたすら絵を描いて過ごしていた。変な絵を描いたり冗談を言って皆を笑わせることが好きだったが、人と話すのが下手くそだったのは今と変わらなかったし、それに常に誰かにいじめられたりバカにされるんじゃないかという過剰な自意識に駆り立てられて怯え、成績のことで先生に責められるたびに一層劣等感を加速させた。
だから中学時代のことは好きじゃなかったのが正直な話だ。そうやって記憶のどこかで蓋をして今まで生きていただけに、中学の頃から会ってない同級生なんかと話すとなると、心がつっかえるのだ。

当時、とあるシリーズの食蜂操祈がめちゃくちゃ好きだったことも思い出した。お嬢様っぽいキャラに惹かれるのは今と昔も変わらないと思う。


しかし、彼と話してると少しずつ当時の思い出が蘇ってきた。嫌なこととか情けなかったことがいっぱいあった一方で、楽しいこともたくさんあったように思える。自転車で海に行って釣りをしたりとか、はじめて異性と二人で遊びに行ったりとか、運動会をサボって自作の漫画を読みあったりとか、誰かの話すような青春時代なんて言葉とは遠くかけ離れた毎日ではあったが、それでも大切な思い出は確かにあった。


彼と話した数日後、仲のいい友達と三人でご飯を食べに行った。中学時代からの仲で一人はもう結婚し娘がいる。まだ生後半年の赤ちゃんだが、前あったときよりもすこし大きくなっていた。会うたびに毎回同じ話をするし昔話も多い。二人はもう大人になっていたが、私はまだ中学時代の延長線を生きているんだと思った。それでも、月日が経ったせいか、当時の恥ずかしい自分を少しだけ許してあげられるような気がした。
完全に過去の自分を受け入れるにはまだ時間がかかりそうだが、昔の友達と話していると、あのみじめな日々もいつかは昔話として全て笑って済ませられる時が来るんじゃないかと思う。

 


吹部の彼とバンドマンの友達はその後、酔いつぶれるまで酒を飲んで寝たあと一日中パチンコをして大負けして別れたらしい、果たして曲の完成がいつになるかはまだ未定である。

「ありがとう」が俺を殺しにきてる、大きな包丁を握りしめて。

死とか爆発とか暴力とか、そういった過激な文面の裏には形容し難いユーモアがあると思っている。ここで勘違いしてもらいたくないのは現実の事件や事故のことを言ってるわけでなく、あくまでフィクションの中の話だ。


世の中にはありがとうやお疲れ様など優しい言葉に溢れており、CMでは大手企業が生活の中の幸福を説き電車のつり革の横には働く社会人を応援する広告が張り出されている。でもそういう心にもないような肯定の言葉というのはかえって人の心を傷つけるんじゃないかと思う。
言葉に責任が求められるなら、肯定する言葉にだって責任が問われるはずだ。生身の人間に感謝や肯定の言葉を言われたら嬉しいが、経済の中で無責任に発せられる肯定の言葉を目にするとほっといてくれよという気持ちになる。字面だけの無機質な感じがなんだか気持ち悪いし、腕だけのロボットに頭を撫でられるような気分だ。


悲しいことだが、近頃あまりいいニュースが流れてこない。物騒な事件や悲しい事故、遠い国の人たちが紛争で死にまくったりとか、気が滅入ってくるからテレビなんてつけたくないしXのオススメタブも拡張機能で消している。そんなニュースの合間合間には幸せそうな家族が食事を囲むCMや、かわいいネコちゃんワンチャンのための高級ご飯のCMが流れてくる、温度差で気がおかしくなる。
この混沌に満ちた世界がどっかで跡形もなく消滅してほしいと思ってる、なんかすごいエネルギーで宇宙ごと吹っ飛んだりとか、やけくそじみた破壊的な爆発を望んでいる。いいものも悪いものも分け隔てなく消し飛ばして、人間のスケールのなかの善悪なんてほんの微塵でしかないことを実感したい。

 

そうでもしないと、世の中が嫌すぎて殻に閉じこもるしかなくなってしまう。

 

 

みんなきっと、表面上のコミュニケーションに疲れているはずだ。挨拶だのいいねだの、心のこもってないやりとりに傷ついている。今の情報社会ではある程度の物事は他人事として割り切る能力も必要だが、みんながみんなそんな風に器用に生きられる訳ではない。
ありがとうとかお疲れ様という言葉はこの混沌とした世界を肯定してしまうことに繋がる、でも自分の中ではなんかおかしいと思ってるから心からその言葉を受け取ることができない。逆に死だの殺だのネガティブな言葉は、自分の中でおかしいと思ってる現代社会を一緒に否定してくれる感じがしていごこちがいい。


これはきっとユーモアとなる。誰も傷つけない、その人に寄り添う否定の言葉がいまの世界には必要である。

 


追記
なんだか無性に腹が立つので、「感謝味噌」という製品を作って売りたい。四方から大音量のありがとうの言葉を流れる部屋に数十時間放置した市販の味噌を4000円くらいで販売する。肯定の言葉の毒の詰まった猛毒の味噌だ

私あなたみたいな人と結婚する。

今日も眠れなかった、扉を開けっ放しにしていたせいで冷たい風が部屋に入ってきて、イライラした。

 

あんまりにも嫌な気分になったので、寝るのは諦めて駅へ散歩に出かけた。もう夜中の1時前なので駅前には人がまばらに歩いている程度で、通りでは電光看板がビカビカと一人で輝いていた。夜遅くなので誰も見る人は居ない。電気の無駄だと思った。

何か面白いものは売ってないかと思って24時間営業のスーパーに入ったが、いざ店内を見て回ると特に欲しいものもなくて急速に買う気が失せていった。野菜売り場に行くとキウイが山積みになっていて、それを見たらなんだかとても悲しくて涙が込み上げてきた。

なんでこんなに悲しいのかというと、この山積みのキウイも売れ残れば廃棄されてしまうということを想像してとても辛い気持ちになった。売り場に貼られたキウイが擬人化したかわいいキャラクターを見たせいでそんな感傷的な気分になったのかもしれない。とにかく耐えられなかった。

 

昔からフードロスだとか、まだ食べられる食べ物が廃棄されるのが辛くて仕方なかった、ホテルの皿洗いのバイトもそれが辛くて3週間でやめた。なんだか食べ物を粗末にすることが命を粗末にしているように繋がっているような気がして、巡り巡って自分の魂が否定されてしまうんじゃないのかと思った。

 

あまりにも辛かったので涙をこらえながらキウイを4つ買った。一個あたり78円だったのでだいぶ安いと思った。キウイの食べごろは優しく揉んで見て柔らかくなっていたら食べごろなのだがまだ固かったのでしばらく置いておくことにした。

 

SFの嘘とライトノベルの猛毒、 プロジェクトぴあの

小説のヒロインに恋をしてしまった、それもハードSFの。

プロジェクトぴあののヒロイン、結城ぴあのに私は勝手に恋をして、勝手に失恋した。

 

プロジェクトぴあの 上: 書籍- 早川書房オフィシャルサイト|ミステリ・SF・海外文学・ノンフィクションの世界へ

 

 

 

本書は宇宙旅行を本気で夢見る天才少女ぴあのと彼女に恋したオタクの少年、すばるのボーイミツガールな宇宙船開発のプロジェクトを描いたSF小説だ。

「プロジェクトぴあの」だなんて軽めのタイトルにラノベ風の可愛らしい表紙、もしこれが電撃文庫の棚でとあるシリーズやキノの旅と一緒に並んでても全く違和感を覚えないだろう。しかし本作のジャンルはあくまでSFであり、ラノベのヒロインのような振る舞いを期待すると痛い目をみる。

ヒロインのぴあのは終始宇宙の事にしか興味ないし、彼女自身、人間のことは愛せないと公言している。いつも傍でぴあのを支えるすばるはそれを誰よりも理解しつも、自分だけは違い、いつか振り向いてくれるかもしれない、という淡い期待を抱き、そしてこっぴどい振られ方をして小説は終わる。

 

この小説において主人公のすばるは語り部であり、読み手はすばるの目から見た結城ぴあのと接していく。可愛らしく魅力的で、そしてどこか危ないぴあのに彼が恋すると共に、読者も彼女に惹かれていく。

そして彼がぴあのに振られる時、読者もすばると同じ気持ちになる。

すばると共にぴあのに恋していた私は読み終わったあと泣いてしまったし、私たちを置いて消えていったぴあのを本気で憎らしく感じた。そして、この小説がライトノベルのアンチテーゼであると悟った。

 

結城ぴあのはマッドなヒロインだ。今世紀最大とも言える高度な知能を持ち合わせながら、容姿端麗で多くの人を惹きつける完璧な少女。それでいて価値観から何まで一般の人間とは全く違っている異質な存在。そんなやり過ぎなくらいのキャラクターを、著者の深い物理学への知識と文章力で破綻なく描いているのはベテランSF作家ならではの実力と言える。

理解できない存在だけれど、理解できないからこそ読者は彼女に対する羨望や期待、そして劣等感を抱きいつしか彼女の一挙手一投足に夢中になってしまう。夢中でページをめくり、自分だけは彼女の特別なんじゃないかと勝手に期待して、そして最後にははしごを外され現実を知ってうちのめされてしまう。恋は人を夢中にさせる甘美な薬だけれど、裏切られた時の苦痛も耐え難いものだということを味合わせてくるのだ。

 

SFは嘘でできている。

科学だとか物理だとか、最もらしい理論を並べて、現実世界ではありえない空想が展開されていく。でもそんな嘘は魅力的で、本当だったらいいのにと信じ込みたくなってしまう。

そんな空想によって産み出されたヒロインは完璧なアイドルだ。著者である山本弘は10年前に本書を書いたのち、脳の病と戦いながら今年に入ってこの世を去った。生前にはハードSF作家としての自身の遺書として本書をあげていた。

時代の当事者としての「今」を生きれなかった老いた賢人が残した置き土産は、ざまあみろと言わんばかりに、いつまでも楔のように私の心の中に刺さり続けている。

散歩向きの町

今日は天気がいいので散歩に行った。前バスに乗ってた時に道路から水路に多くの船が停泊してる様子を見てなんだか気になり、暇だったので歩くことにした。東北線に乗って東神奈川で降りるとよく晴れてて気持ちよかった。

そのまま子安の方に行ってもよかったのだが、道を歩いていると遠くに大きな橋が見えたのでそっちの方に歩いて行くと貨物線の廃線跡があり、茶色に錆びついていた、橋は高島の工場に続いていたが立入禁止と書かれていたので渡ることはしなかった。橋からはみなとみらいや大さん橋、山下埠頭の方まで見えた。

道を引き返して十数分ほど水路に沿って歩いていると目的地の子安漁港についた。目的地といっても水路に沿って古い家が並んでるだけである。漁港という名が付いてはいるが魚河岸などがあるわけでもなく、ただ濁った水の上に小さな船が何十隻も泊まっていた。人気もあまりなく、つげ義春の漫画の世界のようである。舫い綱のこすれるキイキイという音だけが聞こえた。途中喉が渇いたので自販機で売っていた「金太洋 つぶオレンジみかん」という九州のご当地ドリンクを買って飲んだのだが、みかんの缶詰に残ったシロップのような味がした。

私の好きなpanpanyaという漫画家の「魚社会」という作品には鶴見漁港という架空の地名が出てくる。現実の鶴見は工業地帯であり漁港なんてないのだが、子安と鶴見が近所にある事もあり、漫画の背景のごちゃごちゃとした雰囲気に近いものを感じた。

子安漁港の周りを歩いて思ったのが、横浜というのは散歩に向いてる町なんじゃないかという事だ。区画整備などとは無縁な入り組んだ道や古い町工場の数々、半暗渠化した濁ったドブ川など一見すると何の魅力もないものだが、歩く事を目的にした散歩ではそれがなかなか味のあるランドマークとなる。市の大部分が多摩丘陵の端に位置しているため起伏が多く、生活するには少々めんどうだがその分町作りに変化が生まれて面白い。ただぶらぶらしてるだけでもあまり退屈はしないと思う。

東神奈川から寄り道しながら歩き、子安に着く頃には1時間半ほどかかった。これが長いか短いかは人それぞれだと思うが、個人的に散歩というのは2時間を超えると苦痛に感じる部分の方が大きくなってくるので丁度良かったと思う。普段電車で通り過ぎるだけの町だったので、実際降りて歩いてみるとゲームでバグ技を使い本来は入れないマップ外に侵入した時のようなワクワクがあった。

京急のホームは西日でてらされて全体的に黄ばんだような色をしていた。秋の終わりを感じる。

 

バーチャルめちゃモテ委員長〜VRC恋愛最前戦〜

 

VRCでかわいい人ってなんだか柔らかい。

なにが言いたいかというと、フルトラはめちゃくちゃかわいい。

三点トラッキングの我々が前ならえのポーズを取りながら茶運び人形の如くすたすた歩いているのに対し、彼らは柔らかな仕草で自身の可愛らしさを振りまいている。自分が可愛いことを理解している、悔しい限りである。

先日、私は自作のアバターをフルトラのユーザーに着てもらったのだが、靴下を脱いで足を伸ばす仕草を見て不覚にもエッチを感じてしまった。

俺が作ったんだぜ?何万回もモデルを見てなんなら下着の裏まで全部自分で作ったのに、今の今までポリゴンの塊だった私のアバターはその瞬間、生身の女の子になった。

自分の作ったカタチに別の人間の魂が宿ったわけでである。

フルトラマンの方々は皆、足をくねらせ、なめらかに手や肩を動かし、我々の情緒を的確にかき乱してくる。この倒錯した電脳世界において可愛さとは絶対的なアドバンテージであり、彼らはアバターに生の質感を吹き込み等身大の美少女へと変身する。

フルトラッキングの柔らかな動きは、生身の人間の持つ魂の揺れる動きだ。彼らに近づかれると不意にドキッとしてしまうのは、アバターの可愛らしさ以上に生身の人間の魂の形を意識してしまうからなんじゃないかと思う。

最近、私の周りでもフルトラに移行したフレンドを複数人見かけるようになった。彼ら(彼女ら)はきっとモテようとしている。春の匂いがする。もうすぐ冬なのに。

 

 

オリジナル3Dモデル『シルル』販売告知

オリジナル3Dモデル『シルル』VRChat向けアバターです。

2024年11月8日発売予定

大きな尻尾がトレードマークのちょっぴりビビりな子です。

好奇心旺盛なのでいろんなワールドに連れて行ってあげてください。

 

BOOTHリンク:

yonoi.booth.pm

•モデル情報•

ポリゴン数:49,397

テクスチャ数:8枚(アルファマスク1枚含む)

シェイプキー

表情用:46

素体調整用:10

リップシンク用:20

計:76

 

リップシンク対応、PSDファイル同梱

使用シェーダー:lilToon

https://lilxyzw.github.io/lilToon/

参考にしたギミック:みみーラボ様制作PlayableLayersテンプレート

【VRChat】PlayableLayersテンプレート (Base, Action, Gesture, FX, Sittingセット)【Avatars3.0】 - みみーラボ - BOOTH

 

キャラクターデザイン、3Dモデリング:ヨノイ

 

メッシュ

テクスチャ

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